パザ日誌

2004年06月20日(日)

最後の講演会

すっかりポータブル録音機器としてのみ活躍してるのは、SonyのMDウォークマンです。関堂さんはMZ-R50をお使いだそうですが、ボクはさらに古い型のMZ-R30というのを使ってます。

他のメーカーにもこういう機能は普通に付いてるのか、その辺りはよく分りませんが、このMDウォークマンを使ってて便利だと思う機能は、モノラルで録音できるという所です。つまり、モノラル・モードで録音すると、2倍の時間を録音出来るという事になるのですが、これが音質を問わない、例えば講演会の録音などには最適なのです。

そうして今日も、この旧友MZ-R30を携えて、2ヶ月に1度京都で行なわれる、ひろさちや先生の講演会に行って来たのでした。

ボクがひろ先生を尊敬する所は、きっちりと仏教徒として世間を批判している所です。世間にすりよってしまいがちな仏教関係者の中で、これだけはっきりと世間や仏教界(?)を批判して、本来の仏教っていうものをハッキリと訴えている人は他には居ないんじゃないかと思います。今ボクが日本人の中で1番尊敬する人であります。

そのせいか、ボクが例えばこの間の長崎であった小学生同士の殺人事件なんかのニュースを聴いた時、まず考えるのは、ひろ先生だったらどういう感想をのべるのだろうか? という事です。きっとその辺りの文化人や、教育関係の評論家とはまったく違った、ある意味、新聞社からコメントを求められても、記事として載せられないようなコメントをする筈だからです。どっちかっていうと、新聞社があらかじめ求めている「答え」とは180度違うコメントを言うと思うのです。

ひろ先生が良く話される話で好きなのは、先生が実際に聞いたというある老夫婦のバス停でのエピソードです。おじいさんが時間通りに来ないバスに腹を立てて、時刻表を杖で叩きながら「こんなに遅れるんなら、こんな時刻表はいらないじゃないか!」と怒ると、おばあさんが「時刻表が無ければ、どれだけ遅れてるのか分らないじゃないですか」という話です。つまり、宗教っていうのは時刻表みたいなもので、例えば「牛にだって尊い命が有って、殺してはいけない」なんて事を突き詰めて行くと、人間なんて生きて行けない訳です。仏教が言う「不殺生」と、実際の生活でのギャプがどれだけずれてるのか、つまりバスは時刻表より何分遅れてるのか、それを考えたり、それを反省したりして生きて行くのが宗教者だと。つまり、欲望に暴走しやすい人間のブレーキ役な訳なんですが、どうも今の日本人はこのブレーキが機能してないと、バスが暴走してて時刻表とまったく違うと、そういう事をキッチリとまっとうに批判する事をしてる人がひろ先生だと思ってる訳です。もう、これだけハッキリと言われると、本当に自分もそういう人間になりたいもんだと、いつも羨ましくなります。

今日もそういう話が満載の講演だったのですが、なんとこの講演会のシリーズも今日で最後。もうこれからは、なかなかこうやって直接お話を聴く事が出来なくなると思うと、なんとも寂しい限りであります。そういう訳で、先生の講演が終わってからは、お別れ会として、お菓子やデザートなんかを食べながら、円卓にして参加者全員が自己紹介。参加者が(多分)20人ほどの会なので、こういう事も出来る訳であります。ちなみに、こんな少ない人数で講演会が成り立つのかって、ボクも前から不思議だったのですが、今日が最後だったので書きますが、ひろ先生は無報酬で、それどころか交通費、宿泊費も全て自腹だったりするのです。かといって、会場で本を販売してるなんて事もなし。それから1年以上、会員にならずに一般で聴講してた時期があるのですが、その間に主催者さんから「会員になりませんか?」なんて勧誘された事が1度もないという、新興宗教とはまったく逆な会だったのも凄いなぁと思ったりする所でした。勿論、宗教団体でもなんでもなかったのですが。

そういう、2ヶ月に1度の楽しい講演会も終わってしまいました。今から思うと、本当に夢の様な幸せな時を過ごさせて頂きましたです。先生を始め、主催者の方々や一緒に聴講してきた方々の皆様に。そして、なにより素敵なご縁を頂けた事に感謝します。南無阿弥陀佛(合掌)。

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