パザ日誌

2009年08月14日(金)

宇宙は見える所までしか無い(帰省日記6日目)

古牟岐から見た牟岐大島
古牟岐から見た牟岐大島
線香花火
線香花火

目が覚めると快晴。この帰省中で1番の晴天だ。雲1つない空。そして日陰では風が涼しくて、クーラーの冷気では出せない気持ち良さ。特に朝方の涼しさは格別で、これこれ! これが夏の感じ!! と大好きな夏を満喫できる。小学生の頃の夏休みを思い出してしまう感覚。ラジオ体操から帰って来て、朝ご飯におばあちゃんが漬けた茄子の漬け物を食べた記憶が蘇る。もう京都生活の方が長くなってしまったけれど、子供の頃の記憶とか肌感覚というのは一生忘れないものだと思うし、大人になってからの生活とは別次元の物だ。

そう言えば、すっかり走り回れるようになった2歳半の娘も、帰省生活を謳歌していて、実に生き生きとしている。家の中で走り回っても怒られないし、日中の鍵のかかってない玄関からは、自分の意志で外に出る事だって出来る。畑で収穫してきた野菜を食べて、砂浜であそんで、小さい川で見つけた沢ガニに喜ぶ。子供はこういう環境で育ててやりたいものだなぁ……とつくづく実感するのだけれど、お年頃になると都会生活がいいと言い出すのだろうなぁ(笑)。

午前中は沢山洗濯をして、昼からは古牟岐へ海を見に行く。小島の浜は先ほどの台風の影響で沢山の漂流物が流れ着いていて、ショベルカーでそれらをまとめる作業をしていた。ここの浜はスキューバ・ダイヴィングが出来て、沖合に浮かぶ島、牟岐大島の辺りにある珊瑚群を見る事が出来る。砂浜に隣接してある海の博物館『モラスコ牟岐』の外側には、沢山のウェットスーツが風に揺れて逆さまにバンザイしている。

友達を探して来てみたのだけれど、ちょっと遅くなってしまったせいでもう居ないようだ。近くには『牟岐少年自然の家』という施設があり、学校行事で野外学習などが出来る宿泊施設なのだが、ここの庭みたいな所にヘリコプターが降り立っていたのが見えた。近くには救急車が待機していて、担架を抱えた人がヘリの方へ駆け寄る。この辺では最近、事故や急病の人などを市内の方の病院までヘリで輸送する、所謂ドクターヘリというものが利用されていると聞いた事があった。これがまさにそれなのだろう。田舎では医療サーヴィスの問題が大きくある。勿論、都会でもたらい回しにされる事もあるのだけれど。どちらにしても、医療の問題は色々と難しそうだ。

古牟岐を後にし、明日の早朝には京都に戻る予定なので、色々と挨拶に行く。お供えを頂いていた親戚のおばさんの所にお邪魔して、久しぶりに色々と話しをする。明日が終戦の日というのもあり、もう少しで終戦という時に戦死してしまった旦那さんの事とかを聞く。それからその旦那さんの弟の話しが凄かった。ジャングルで片足を負傷し動けなくなって、獣に食べられない様に必死で木に登り、助けを待ったという話し。食べ物が無く毒でない事を祈りながら木の葉を食べ、負傷した足からはウジがわき、日本兵の乗った車が通るのをひたすら待ったという話し。木の枝を何本も折り、日本の車が通りかかるとそれを落として気付いてもらおうとしていたのだとか。そしてやっとその時が訪れて無事助けられたのだそうだが、その車に乗ってたのが実の兄だったのだとか。ドラマにでもなりそうな話しであるが、本当の話しだそうだ。その後その助けてくれたお兄さんは戦死してしまい、片足を失った弟さんは義足をして船乗りになったそうで、人生とは本当に分からないものであるという話し。

ドラマチックな奇跡の物語にしても、理不尽に虫けらのように殺されていった話しにしても、戦争のはなしは語り継いでいかなければならない。こうやって当時を知る人達から、こういう話しを直接聴く機会という物はだんだん無くなっていくだろうから、今回こういう話しをして貰えたのは本当に貴重だった。

その後、もうひとりのおばさんの家にお邪魔。仏壇にもお参りさせてもらう。うちの娘の成長を心から喜んでくれて、お土産までもらって恐縮して帰る。1番お世話になってる叔父夫婦は留守のようで、帰る挨拶が出来ずじまいで残念。

今回最後の晩ご飯を食べた後は、庭で花火大会。あんまり慣れてない娘が花火を上に向けるので怖かったが、小さな椅子にふんぞり返って花火に火をつけてもらえるのを待ってる姿が、映画のロケで出番を待つ大物女優の感じにエラそうで笑った。

まだ暑い日は暫く続くのだけれど、最後の線香花火はやっぱり寂しい。もう夏が終わるようで実に寂しい。最後の線香花火の火玉が水に弾けてジュっと言った後は、親子三人で横に並んで暫く満天の星空を見上げた。雲1つない星空だったおかげで、天の川もはっきりと見えて綺麗。ひょっとして都会育ちの人達は本当に天の川というものが見えるというのを知らない人も多いのではないのだろうか?

松尾スズキのミュージカル『キレイ』の中に、『宇宙は見えるところまでしか無い』という歌がある。額面通り受け取っても、逆説的な意味でもこれは本当に名言であると思う。都会の夜には見えない星空を見ていたら、『宇宙は見える所までしか無い』としたら、都会の宇宙はとても狭いのだなと思う。だから広い視野で考える事が出来なくなる人が多いのかもしれない。『宇宙』を『自然』と置き換えてみてもいいかもしれない。都会に戻っても、明るい夜空にもこの満天の星達が輝くこの空の事を、いつも心の中で思い出せる様にしておきたいものである。せめて自分の見える宇宙は広くしておきたいものである。

1つだけの綺麗な流れ星を見つけて星空観察会は終了。願い事なんてどうでもよい。初日は大雨でどうなることやらと思ったが、最後の夜にはこの星空が見られ大満足で眠れた。

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