パザ日誌

2010年10月10日(日)

長岡京で遊んだ

長岡京ソングライン梅の丘ステージ

かつて東京オリンピックが行われ、それから体育の日として親しまれた日だけれども、嬉しい月曜日政策によって今は決まって休みではない。だが今年はたまたま日曜日で休日。

昨日の雨が嘘のように晴れ渡った10月10日(ex.体育の日)。長岡京市で『長岡京ソングライン’10』が、長岡天満宮で行われるというので行ってきた。

とはいえ、今朝起きた頃にはもう催しが始まろうという頃合いだったので、ゆっくり朝ご飯などを食べて、子供の支度なんかをさせてたら到着は13時半頃。まぁ、特に目的のミュージシャンが居た訳でもないし、基本アコースティックなこのライヴ自体に過度な期待はせずに行ってみたのだ。公園に遊びに行くような感覚で。

音楽の善し悪しが演奏形態で決まる訳はないのはじゅうぶん承知しているが、どうも町中などでアコースティック・ギターをジャカジャカかき鳴らして歌を歌ってる人達に良い印象はないので、どうしてもそういう偏見が付きまとう。自分も中学の頃からアコースティック・ギターをかき鳴らす少年だったし、高校の頃には同級生と『アコースティック・クラブ』なんていうのを作っていた人間が、自己否定するような事になるのは重々承知なのだが、ギターの弾き語りがジャカジャカとコード弾きだけで歌を歌うのを見てると、どうももうちょっと工夫できないかなぁと思う。歌が『歌と伴奏』で出来ているとするならば、その片方の『伴奏』はどうでもいいと思ってるとしか思えてこないのだ。つまり、バンドでいうと、ヴォーカル以外の事はどうでもいいと、ドラムは決まった8ビートなり16ビートなりのパターンだけやってりゃいいと言われてるような、ちょっと被害妄想的な事まで思ってしまうのだ。

そんな事を思いながらライヴを見たんだけど、結果そういう事は本当はどうでもいい些細な事だ。1番大事な事はその人の世界に引きずり込まれるかどうかだ。歌が有ってもインストでも、その音から生まれる世界観に引きずり込まれる、そういうミュージシャンや曲に出会えればそれでいいのだ。

今日はそんなに多くのライヴを見た訳ではないけれど、見た中で引き込まれたのは、梅の丘ステージで見た『nolenNiu-de-ossi』というグループ。こういう良い音楽に出会う事が出来るのは本当に嬉しい。

しかし、この『長岡京ソングライン』というのは良いイヴェントだ。無料でこういうのをやるのは運営も色々と大変なのだろうけれど、こんな素晴らしいイヴェントは長く続けて欲しいと、そして出来るだけ晴れて欲しいと願うばかりである。

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