パザ日誌


2002年12月11日 (水曜日)----すぎもとともひで

必要性と善悪

オスロで行なわれた、ジミー・カーター元米大統領のノーベル平和賞受賞演説には感動しました。

一、戦争は必要悪かもしれないが、どんなに必要であっても常に悪であり、善ではない。お互いの子供を殺し合いながら平和に共存するのは困難だ。

素晴らしいスピーチですね。まったく当たり前の誰でも言えそうな台詞ですが、ここに日本人には理解しにくい内容が実は隠されているような気がします。それはこの引用の前半部分の「必要悪」という部分です。

ボクが尊敬するひろさちや先生によりますと、日本人は「必要悪」という感覚が希薄で、「必要ならば善」「必要がないものは悪」という感覚が強いというのですが、ボクもそう感じます。「必要性と善悪は別物だ」というのが分からないというのですね。「必要ならば善」と考えがちなのです。例えば「死刑は必要」と言うと「死刑は善」だと思ってしまう。「人を殺してはいけない」と言いながらも「あんなやつ死刑にしてしまえ!」と思ってしまうものですが、どんなに悪い事をしたやつに対しても、死刑は「絶対に悪」であると思うのです。だからといって道徳的には必要な場合があるから「死刑制度」があるわけです。でも死刑は絶対に「善」ではないのです。この感覚が日本人に希薄になってるのは、その「善悪」の基準であるはずのまともな宗教がなくて、道徳的な基準(たとえば法律)でしか思考できないからのような気がするのです。

「必要ならば、それは善だ!」という考え方の危険性をちゃんと知って、「善悪」というのが何かと言う事をちゃんと考える必要が、今の日本人にはあると思います。カーター氏の発言をちゃんと噛み締めて、そして考え直してみる時期じゃないでしょうか。