パザ日誌


2003年1月30日 (木曜日)----すぎもとともひで

小澤征爾さんのドキュメント

昨日の夜は「本当に何の役に立たなくて使っても苦労に見合う評価が得られにくく、逆にテンポが狂ってるようにも取られかねないポリリズム講座」(笑)のためにMP3作りをやってて、しかしこんな事しても一銭のお金になる訳でもないのに我ながらよくやるなぁ......などと苦笑しつつ、休憩がてらにテレヴィジョンのスイッチを入れたら、小澤征爾御大のドキュメンタリーをやってました。わはは、説明が長くて無駄ですなぁ。面白かったのでヴィデオに録りながら全部見てしまいました。

小澤征爾さんと言えば中学の頃のボクのアイドルで、夏休みの宿題の読書感想文には小澤征爾さんの本「ぼくの音楽武者修行」を選んだものです。そういえばこの前本屋さんにこの本が平積みになってましたねぇ。これからボクが一生かかって経験する事も(例えばボクが百歳まで生きたとしても)この人の経験した事の、およそ1/3にも満たないのではないかと思ってしまいます。ヨーロッパでバイクを走らせて宣伝するからという条件でホンダ富士重工にスクーターなどを提供してもらって、ギターを持ってヨーロッパに船で渡り、スクーターでヨーロッパを横断だなんて、そういう行動力はきっと音楽に対する情熱からくるものなのでしょうねぇ。

ドキュメンタリーの中で、夏にキャラヴァンを組んで若い演奏家を引き連れて、田舎の山あいのお寺や学校の体育館を何か所も廻っているのだと知りました。しかも無料のコンサートで、告知もほとんど無しだそうです。チェリストのロストロポーヴィッチさんに勧められて、始めは嫌で断ってたのだそうですが、やってみると人々の素直に感動するその姿に本当にやって良かったと思えるようになってきたそうです。音楽の原点といいますか、演奏側と聴衆の近さとか、素直に感動してくれるその表情とかに何かがあったのでしょうね。ある中学校では演奏のおかえしとして中学生が合唱をしてましたけど、それを聴いていた小澤さんの目には涙が光ってました。こういう所がこの人の魅力ですね。演奏の上手下手じゃなくて、一生懸命歌っている。先生に歌わされているからしょうがなく歌っている子もいる。それでも一生懸命歌っているその姿に感動するのだと言ってました。クラシックの演奏家っていうと何かエリートっていう感じがあるのですが、本当に心のこもった凄い演奏家っていうのは、実はこういう音楽の原点みたいな事がちゃんと分かっている人なんでしょうね。

所有権の放棄

昨日の「松本紳助」の中で臓器移植の話しは面白かったです。その中でダウンタウンの松本さんは臓器移植に対して「全てのものを提供してもいい」と言っていて、その理由に「体なんて単なる乗り物にすぎない」という事、「だから自分のものではない」という事を言っていました。それに対しての紳助さんは「そうやから自分で決めなあかんねん」なんていうチグハグな答えをしていたりして面白かったです。ボクは紳助さんの「海に散骨してほしい」という考えには大賛成です。いや、死んでしまったのなら肉ごと海に投げて欲しい気がします。魚が好きでこれだけ食べてきてるんだから、せめて死んだ後くらいは魚類の腹の足しに成りたい気がしますから。「自分が死んだら鴨川にでも投げて魚の餌にでもしてやってくれ」と言った親鸞聖人の考えに一票って感じです。勿論法律的には無理な話しですが。

松本さんの話しは面白いのですが、首をひねる部分がありますね。つまり「自分の体なんて単なる乗り物で自分のものではない」というのと「だから全てのものを提供してもいい」というのが繋がるのはどういう事なんだろうという事です。自分の体の所有権を放棄するという事は、自分の体の使い道を自分では決められないという事ですからね。だって自分に所有権のない車を自分が他人に売ったりあげたりする権利はないでしょう? でも「自分の体が自分のものなんていうのはエゴだ」とまで言った松本さんの発言はまさにその通りだと、持った湯飲みをばったと落し、小膝叩いてにっこり笑いたい気分でした。