パザ日誌


2003年2月20日 (木曜日)----すぎもとともひで

ええもん、わるもん

人がテレビドラマを見てる所へ途中で入っていって、つい「この人はええもん? わるもん?」なんて聞いてしまったのです。人間の本質が単純に「ええもん」か「わるもん」か、そんな二極論で割り切れる訳は無いのに、ついついドラマなんかではそういう役割りが設定されている事が多いので、特に途中から参戦した者にとってはそれが分かっておいた方が戦い易いかなぁなんて、そんな事を思ってしまうもんです。

前に何かで読んだ話しで、小さい男の子がお母さんと一緒に電車に乗っていて、すれ違う電車に対して「ねぇ、あの電車はええもん? わるもん?」って聞いていて笑ってしまったっていう話しをつい思い出して、その子の気持ちをちょっと分かったような気がしました。まだ超合金でロボット遊びな時代には、(今でも超合金ってあるのか知りませんが)電車もロボットと似たようなチームに入るのかもしれませんし、アクション・ヒーローものは「ええもん」と「わるもん」がだいたいハッキリとしているので、そういう風に考えてしまうのかも知れませんねぇ。

でも実際にはウルトラマンとかにしたって、あんなビルの谷間で怪獣と戦ってたりするって事は、絶対に何十人何百人の人間やらを踏みつぶしてない訳がなくて、そこで殺された人やその身内からしてみたら「ウルトラマン何すんねん!」ってなもんでしょうから、見方によって「ええもん」「わるもん」が変わってくるのは間違いないです。もちろんだからと言って怪獣ののさばらせて置く訳にもいかなくて戦ってる訳なんですが、正義の味方も辛くて悲しくて孤独で、実はかなり傷付いてるんじゃないだろうか? と思うのですよね。無傷のヒーローなんてありえませんしね。