パザ日誌


2003年5月 1日 (木曜日)----すぎもとともひで

ワダチ

松本零士さんの「ワダチ」(ISBN4-09-192075-6)という漫画を読みました。

オリジナルは二巻あるようなのですが、今日読んだのは、文庫本サイズの小学館から一九九九年に出たもので1巻にまとまっています。お得意の四畳半シリーズで、しかもSFもの。ちょっとだけと思って読みはじめたら、最後まで止まらなくなりました。

この作品を読んでて思ったんですが、小学生の頃に松本零士作品を読んでてツボにはまるポイントと、今読んでてはまるポイントがまったく同じだと言う事。これは本質的に人間っていうものは変わらないというのか、それともボクが成長してないのか? ありゃ、またこのパターンだ(笑)。いや、ボクという存在が小学生の頃には、すでに完成していたという事かも。そういえばボクは確かに小学生の頃から小学生らしくない変な人間だったような。正月に「おとしだま」を貰うととても嬉しいんですが、多分誰にも言わなかったけど「おとしだま」っていう制度にずっと違和感があって、馬鹿馬鹿しい感じをずっと持っていたり、それは「バレンタインデー」や「中元・歳暮」とかもそうでした。まったく嫌なガキですな。「おとしだま」という制度に疑問を持つ小学生ってやっぱり変ですよね。素直に喜べ! って感じですね。でも「こんなの変だよ。いらないや!」なんて突っ返すよりはマシか。そんな奴は超大物か、救い用の無い馬鹿かどっちかだ。

松本零士作品には「999」でもそうだったんですが、一回分の物語の終わりに、両端が丸まった古い一枚の紙みたいのに、何か哲学的な文章があったりするでしょう? そういうのにしびれたりしてたんですよね、小学生の頃から(それと同時に手書きのローマ字で笑えるような事がこそっと書いてあったりするのも好きでしたが)。

今日読んだ「ワダチ」でぐぐっと来たのは、<ネタバレ注意>冒頭の方で主人公のワダチのお金が盗まれるんです。犯人が誰かは薄々気付いてるのですが、「みだりに疑ってはダメだ」と自制したりするんです。結局自責の念から犯人だった女性は自殺してしまうんですが、そういう正直者がダブルで出て来たらちょっと弱かったりします。</ネタバレ注意>あと徹底的に対比される「金持ちと貧乏人」とか「男前と短足がに股」とかは結構松本零士作品の特徴ですよね。しかも貧乏層の人々の人情にも泣ける。

そして、この作品は読んでいて寒気がする程恐ろしい未来の姿が描かれています。いや、未来というより、今となってはそんなに遠くないうちに来るかもしれない危機みたいなもの。そしてそれはやっぱり人間が好き勝手した結果だというような事です。この作品が描かれたのはボクが生まれて間も無い一九七〇年代前半です。まだまだ右肩上がりの頃(でもオイルショックとかがあったんだったっけ?)、そういう時にこういう作品が出てくるのは必然なのかどうなのか? ボクはまだ人間の言葉をしゃべり始めたばかりなのでよく分かりませんが、三十年くらい経った今では増々怖さを増しているテーマがあってゾッとします。松本零士作品はテーマが普遍的なのか、全然色あせなくて面白いです。

まぁこの作品、なんやかんやと言ってみても、実際に一番恐ろしく描かれているのは、「おなご」だったりするのでした。女は怖いし強いし(笑)。イヤ、ホンマ。