......という訳で、年が明けて2004年に成ったんですが、ちょっと過去に戻って、まだ去年だった大晦日の話。帰省してからずっと天気が良かったんですが、大晦日の31日は曇ってて、時々小雨も降る感じでした。
昼間にはお土産を買いがてらに隣町であり、ボクが高校時代に通学していた日和佐町の大浜海岸のそばにある国民宿舎「うみがめ荘」へ(我が母校は人口減少の為に、もう少しで無くなってしまうんですけれど......)。大浜海岸は夏場にはうみがめが卵を産むために上陸するので有名な浜です。夏にはうみがめの為に街頭も砂浜には照らさないようにしてあって、監視員さんも居て花火も禁止なんですけど、なんと大晦日から元旦にかけて花火が打ち上がるというのを徳島県のメールマガジンで知って楽しみにしていたのでした。花火は午後十一時四十五分からだったんですけれど、それでは恒例のうみがめを観に行けないので、一旦昼間に日和佐へ。小雨が降る天気でしたけど、久しぶりにうみがめに再会。これまた二年と二ヶ月ぶりです。「うみがめ荘」の隣は「カレッタ」といううみがめ博物館があって、プールみたいな所にうみがめが何匹も泳いでるんですが、博物館に入らなくても出口の辺り----このあたりが「うみがめ荘」と共有されている感じ----から無料でうみがめが見物できます。水族館みたいにガラス越しじゃなくて、手を伸ばせば触れそうな感じの所をうみがめが泳いでるのでいいのです。
一旦帰った後、紅白などを何年かぶりに見たりしながら、小林幸子の衣装に資本主義を見る様な悲哀を感じた後、日和佐へ。大浜海岸近辺へ到着すると、昼間に歩いていてもあまり人に会わない様な地方の町なんですけど、さすがに花火っていうイヴェントがあるということで人も集まってきてて活気があります。車を前は中学校が建っていた跡地----この中学校は移転していました----の町民グランドの仮設駐車場へ停車した頃、丁度花火が始まりました。あわてて砂浜へ移動。前座の様な花火がひとしきり終わった後、年が明けるのを待って本番の花火が派手に上がり始めます。都会のド派手な花火ではなくて、こじんまりした花火で数も少なかったですけれど、なかなか素晴らしい花火でございました。なんせ、自分と花火の間に誰も居ないという贅沢な状況で花火を見る事が出来るっていうのは、おそらく地方の花火の特権ではないでしょうかねぇ。人ごみに押されながらじゃなくて、何なら砂浜に寝そべったまま花火見物ができる位です(実際にはちょっと寒いので、そんな事をする気にはなりませんが)。ボクがこっちに居た頃は、夏祭りに数メートル先の灯台の先から上がる花火を、堤防に寝っ転がったまま見るのが楽しみでした。いくら花火が凄くても、見る方の環境と差し引きしたら、とてもじゃないですが都会の花火なんて、小林幸子を見るようです。