十四日の土曜日は二か月に一回ぐらい行なわれている、「きんき まんだらの会」主催の「歎異抄セミナー」に行った。毎回変わる浄土真宗の講師の先生と、ひろさちや先生の講演会があって、もうかれこれ四年ぐらい通っている。会場に向かう京都駅で、偶然ひろ先生にお会いしてビックリ。さらに講演が始まる前には、ひろ先生の書いた文章が載っている新幹線車内誌「ひととき九月号」(株式会社ジェイアール東海エージェンシー発行)を直接頂きとても嬉しかった。その「ひととき」の今月の特集は「奈良・東大寺の大仏さん」で、東大寺大仏開眼一二五〇年の為の特集だ。その中の第一部に「大仏さんは、宇宙のほとけ」という四ページの先生の文章がのっているのである。
東大寺の大仏は小学校の修学旅行とかも含めて、何回か行った事があるが最近は行ってないなぁ。鎌倉の大仏は去年の夏に、初めて見て、内部にまで入ってきた。この二つの仏さん。「大仏」とは言えど実は違う仏さんで、東大寺のは「毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)」といい、鎌倉のは「阿弥陀仏」なのだ。毘盧遮那仏は密教では「大日如来」とも言われる仏さんで、曼陀羅の中央にいらっしゃる仏さんなのだ。でも、大乗仏教でいう仏とは、「宇宙仏」で「宇宙そのもの」「宇宙の意志」がそのまま「仏」だという事なので、毘盧遮那仏も阿弥陀仏も同じと言えば同じなのだ。
この点はキリスト教と比較するとよくわかるでしょう。
キリスト教のゴッド(神)は宇宙の創造主です。宇宙はゴッドによってつくられました。
仏教では、宇宙の創造主を置きません。
仏が宇宙をつくったのではなく、宇宙そのものが仏だとします。
→ひろさちや 「ひととき」九月号より
この「ひととき」は無料配付をしているみたいなので、機会があれば御覧になってくださいませませ。