パザ日誌

2002年09月24日(火)

制約の中の自由

ボクの出身地、四国は徳島に住む友達よりメールが来た。メールといってもボクが二日前に送ったメールに対するレスポンスなのだが、実にメールが届くまでに2日かかったそうだ。そう言う事があるというのは話には聴いていたが、あの場所の場合はきっと大阪湾、或いは紀伊水道を超えるのに逆風が強かったのだろう(笑)。

それはさておき、おとといテレビを見ていたら京都のある大学での「歌舞伎」の講議のドキュメンタリーを放送していた。色々な理由から参加した学生を追っていた訳だけど、一番印象的なだったのは、伝統に向き合い練習を積んで本番の発表会を終えたある男性の感想。
言葉は正確ではないだろうけど、「色々と決まりごとはあるけれども、自由だった。最終的には自分が決められる」と言うような感じの事を言っていた。

ボクは歌舞伎の事はまったく知らないけれど、この感覚は分かるような気がする。「伝統」と聴くと何か「堅苦しいもの」とか「決まり、制約が多そう」などと、保守的、強制的いこーる「没個性」なイメージになりがちで、実際今回もそういう理由からか、やっていても頑に拒絶感を拭いきれない人もいた。「洗脳されているようで、何故みんな言う通りにするんだろう……」なんて、芸術系の「個性」を売りにする人には、むしろそう思うのがあたりまえじゃないかという意見だった。でも逆に言うと芸術肌のひとは懐が広いとも言える。そして何かを求める事には貪欲だ。「歌舞伎」の中に自分の表現にとっての「きっかけ」があるんじゃないか、という人が大半だったようだ。どっちが良くて、どっちが悪いという訳ではなく、色んな人が居るから面白い。もちろん番組的にも。

pazapはある意味制約の多いバンドなのだろう。「曲が完成した段階でアレンジも決まってしまっている」なんて言う話をこのテレビを見る数時間前に、ベースの募集を見て連絡をくれたひとと話をしていた(実は今の時代、こういう事はアマチュアでも普通の事になっているんじゃないかと思うのだが)。メロディーにコードを付けて、アレンジはスタジオでみんなで練って行くなんていうのは、実は効率が悪くて、スタジオ代がかさみ、その割にはまとまらず失敗する経験をボクも知っている。スタジオの外で出来る事は、しておいた方がいい場合が多いのだ。勿論、最終的にはスタジオの中で仕上げるのだけど。その上「打ち込み」という物に対する拒否反応が大きい人というのもまだ多い。その気持ちは何年か前までボク自信がそう思っていたので良く分かる。だから「キメが多く、打ち込みとの同期もので、アレンジもばっちりきまっている」となると、アーティスト肌のひとには拒否反応も出るのだろう。でもボクはpazapはある意味、凄い自由なバンドだと思う。実際にプレーヤーの1人として、単純にそう思うのだ。

結局何にしても最終的には本人の個性だし、だから面白いのだ。自分が否定していた大人になってしまった尾崎豊の葛藤はどんなもんだったんだろう? 不自由の中で「自由!」と叫ぶことが出来る自由が彼だったのかもね。

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