パザ日誌

2002年10月28日(月)

バトンタッチ

今日もワニ語だ行くワニ。何故なら、内容が固いからだワニ(笑)。あまりの旨さに暫くはまったキムチ鍋も一段落して、昨日は久しぶりに刺身なんかを食べたワニ。田舎に居たころは、海辺の町だったせいか、刺身なんかしょっちゅう食べてたのですが、最近はあんまり食べてないワニよ。ただ、ボクの場合刺身と同じぐらい「ワサビ醤油」が好きで、ワサビ醤油だけでどんぶり一杯ぐらい喜んで食べられる程ですので、お造りが好きなのか、はたまたワサビ醤油が好きなのか、かなり疑わしいワニね。お造りにはやっぱり「すまし汁」という事で、昨日はちゃんと昆布とかつお節でダシをとったワニ。このダシをキムチ鍋で少し余ったスープに足して、今日はうどんにしてみたり。ダシうめー! なんか日本人で良かったと思う時は、やっぱりこんな時ワニね。だからと言って、「このダシの味が分からんような、アメリカ人は可笑しいぜ!」なんていうのは筋違いで、アメリカ人はアメリカ人の味覚があるハズ。自分の所の文化の基準で、他の文化を計るのは、筋違いも甚だしいワニよ。

前に見たテレビで、古くて解体してしまった家の柱で、家具なんかを作っている職人さんのドキュメンタリーみたいなのがありまして、その人が言うには、「家を立てたり、家具を作ったりする木は、その住む人(または使う人)の地元の木が一番良い」というのだそうです。気候とか湿気とかに影響する、生きてる木である家や家具なんかも、その同じ気候で使うのが良いというのはよく分かるワニね。そういえば、野菜とかも旬のものは、旬の時に食べるのが体には一番良いと言うワニね。夏やさいは体を冷やしたりする効果があるとか……。それは、昔の人の知恵というより、必然的にそうなったり、ヒトの歴史のなかで進化・順応してきたワニね。それは逆に言うと、その進化・順応のスピードとは比べ物にならないスピードで、旬でないものを食べたり、気候・風土的にもまったく違う外国のものを常食したりする生活というものの危うさと言えるのではないワニか? 

ボクは素朴な田舎町で、おばあちゃんの手料理を食べて大きくなったのですが、これ程の財産はないと思ってるワニ。それはまさに「生きる知恵の結晶」で、この土地に伝わってきた食文化のバトンリレーだワニ。米酢ではなく、柚子の酢で作ったちらし寿司を食べると、涙が出そうな程「日本人で良かった」と思えたりするワニ。このボクのおばあちゃんが、ただ何となくしている事が、そのまま「愛国心」を育てる事なのですよね。もちろん「愛国家心」とは違う「愛国心」だワニ(2002/10/10参照)。それは家庭の中でのバトンリレーの問題で、文部科学省や教育委員会があれこれする問題じゃないワニ。コンビニのおにぎりに「お袋の味」を感じるような、そんな日本がもうすでに来てるワニよ。高度経済成長の遺産がそんなものなんじゃないかと思ったりした時思うのは、今24年の空白を埋めている人たちに今の日本はどう写ってるワニか? という事だワニ。他の国と比べるのではなくて、単純に「日本は素晴らしい国になっただろう!」って胸はって言えるワニか? 最近ニュース見ると、そんな事を思ってしまうワニよ。勿論政治的な事は政治家がちゃんと責任持ってやれば良いワニよ。ボク達は、責任持って家庭の中で、バトンタッチが出来るかどうか、それは個人の勝手じゃなくて、社会的な責任じゃないワニか? いや、ただのワニの戯言だワニよ(笑)。

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