パザ日誌

2003年03月20日(木)

平和のために祈るだけです

アメリカ軍を中心として、イラクへの攻撃がはじまりまった。政治家は政治家の立場で権利を主張するのは当然だ。小泉首相にとってはアメリカを支持するというこの選択が、立場上ベストだったのかもしれない。でもボクは政治家ではないから、政治家の立場で発言する必要もない。改めてこの愚かな「殺し合い」について反対します。

マスコミ報道を見ても、最近のばかばかしいと思える程の一部の「反戦派市民軍」の活動を見ても結局はどちらも権利の主張だ。権利の主張はどっちも正当性を持っていて、どっちが「より正当か」という点で落としどころを見つけるしかない。結局はそんな所に「真理」は無くて、あるのは「必要性」のみだ。

「必要性」という考え方は確かに必要だけれども、思考回路に「必要性」という価値観しかないのは危険すぎる。戦争賛成派にも戦争反対派にもそれは感じる。いや、これは違っているのかも知れない。「戦争」という政治的な事に対しては、どうしても「必要性」でしかないのだ。だから賛成も反対も「必要論」でしかないのか……。じゃぁ他に方法はないのかと考えると、あとは「祈る事」しかないように思った。だからボクは祈ります。アメリカのためとか日本のためとかイラクのためとか、そんな祈りじゃない。ただ、平和のために祈ります。

しかし「アメリカ大使館に夜中まで大声で抗議するのはやめてもらいたい」という近隣の人に対して「緊急事態なのだから我慢しろ」だの「そんな事を言ってないであなたも参加しろ」だの、自分の主張でもって無理矢理に押さえつけるのは、まったくブッシュの考えとどこが違うのか? タマちゃんをめぐるバカバカしい言い争いみたい。アメリカ人が食堂のメニューから「フランス」を無くしてしまった事みたい。向かってる方向とか、何かが違うんじゃないの?

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