パザ日誌

2003年03月19日(水)

開戦前夜

市民運動系のメーリングリストから連日、山のようなメールが入ってきます。積極的に参加してる訳ではないけれど、情報収集とかになればいいなと登録したものだったりします。発言したい気もするけれど、どうもそういう気になれないのは、そのノリが「尾崎豊的」だからでしょうか? ボクみたいなひねくれた人間はストレートに言われると引いてしまうような所があるもので。「戦争反対」も百万遍聴くと「そうだそうだ!」と思う人と「そうなのかな?」なんて疑問を持ってしまう人があるもんです。

勿論「戦争には反対」ですが、「それを言うなら……」なんていう事も色々と見えてくるという事です。例えば十九歳の大学生が小泉首相に対して怒っている。そしてその猛烈な怒りは「誰がヤツを首相にしたんだ!」という訴えになります。当然ですよね、彼には選挙権が無いのですから。とっても良く分かる論理ですよね。この彼と同じような怒りが、こころの底辺にふつふつと燃えてくるのですよ。テレビ見ながら「お前はちゃんと選挙に行ってるのか?」とか「自分の町に道路を造ってくれるからって選んだんじゃないのか?」とか例えばそういうような。普段自分の半径数メートルの事ばっかりしか考えてない人間に、世界の平和をいまさら訴えられるような感覚がしゃくに障るというか。罪の無い弱者を犠牲にするのがダメなのなら、日本の経済最優先の合理主義でご都合主義な超資本主義は、どれだけの弱者を殺し苦しめているのかとか。(もちろん自戒も込めてですよ。自分も加担してるのが分かってるから)目の前の戦争を反対するのも大事なのですが、目に見えない部分の事もちゃんと考えて欲しいとつくづく思いますですよ。

あぁ、でもボクもこういうストレートな意見しか書けないのでありました。

明日には人殺しの行為(アメリカの勝手作戦)が始まりそうなのです。大量破壊兵器の廃絶なんて言ってたあの国が、イラクを最先端大量破壊兵器のショールームにしようとしています。この週末にも一市民として何かの反戦行動には参加する予定です。でもその後は一仏教者として祈るだけです。ボクにはそれ以上の能力はありません。

コメントは受け付けていません。

pazap研究室 all rights reserved.