結局返却時期が近付いて、読まないだろうなぁと思っていた本も、ちょっと読んでみたら実はかなり面白いという事が分かって、一気に読んでしまった。
「クルド人とクルディスタン 拒絶される民族」(中川 喜与志著/南方新社)これを読んで思った事は、日本という国に住んでいて、何気なく暮らしてるこの暮らしは、世界から見るとひょっとしたら「特殊な環境」なのかも知れないという事です。
そういえば前にインドのホテルに泊まった人が、あまりに停電するので「どうしてインドはこんなに停電するんだ」と言ったという話しを聞いた事がありました。それは安定した電気が供給されているのが当たり前の日本を「基準」としての発想で、実はこの日本の方がが世界的に見ると「特殊な環境」なのではないか、という話しでした。この本を読んでたら、ホントに日本という国が「特殊な環境」のように思ってしまいます。そしてそんな「特殊な環境」に住んでいる人が世界の主導権を握り、故意に、そしてまた無意識に、クルド人みたいな人たちを見殺しにしているのです。
一九八八年三月、イラン・イラク戦争の末期にイラク内のクルドの町ハラブジャで起こった五〇〇〇人の虐殺は、ご存じの通りあのサダム・フセインの政権がサリンなどの化学兵器を使ってクルド人の一般市民を虐殺しました。この事実を知りながら、実は世界は十年間事実上無視をしたそうです。それは「自国の国益の為にはイラクの一般市民に犠牲者がでるのはしかたがない」なんていうような力関係が理由のためのようなものだと思いました。つまり、この当時アメリカの敵はイランだったと言う事ですね。では何故十年後には問題にしたのか? そう、それは今度はイラクが敵になったから。どうもそういう事のようですね。十年後にやっと医療チームが入ったのだそうです。しかもクルド人を助けようとかそういうのではなくて、前科があるイラクが今度は多国籍軍に化学兵器を使うかもしれない。そのための「研究」としてだという事が見事ですね、まったく。
結局この世の中の出来事や、人々の運命は、政治の力関係によって左右されてしまうという事ですね。その点でクルド人の人たちは多くの国に分断されて、国家や自決権を持たない民族です。この民族の運命はまさに、こういう力関係の国々によって無視され、迫害を受け続けた歴史を持つ民族です。そして日本も勿論この民族を無視し、見殺しにしてきた国のひとつなのは間違いない事実なのですね、悲しいかな。実際にトルコから難民認定を受けたいと日本に来たのに、ろくな対応をせずに強制送還され殺されてしまった人も居るのだとこの本にも載ってました。こういうのを聞くと「そんな話しは知らなかった」なんていう言い訳が出来るのかとか自分自身を責めたくなります。せめてこういう民族があるんだという事を知っておく事が、島国日本に住む閉鎖的な日本人には必要なのではないのだろうかと強く思いました。
この本の最後に掲載されているオジャラン氏(クルド人ゲリラの指導者)とのインタヴューで、「湾岸戦争の時に日本がとった態度」についての問いに対するオジャラン氏の発言は鋭いです。
日本は、米国の、極めて存在感の薄い、主体性のない、無人格な共犯者としての行動をとった。まるで村人が地主のいうことなら何でもそれに従う様に(笑)。つまり極めて従属的な、そして無個性な政治である。あまりに主体性がない。あまりに限度知らずだ。九十億ドルもの、しかも財源の当てのない巨額な資金を、米国の軍事独占資本家たちに送り届けた、ひと言でいえば、これは、日本政府の責任者が誰であれ、日本政府の主体性のなさを証明するものだ。明日また別の戦争が起こって、また日本が同じように米国を助け、追従するなら、日本はますます墓穴を掘ることになるだろう。
→「クルド人とクルディスタン 拒絶される民族」(ISBN4-931376-59-2)より
日本にメリットがなくなった時、もしくは他との力関係がおよんだ時には、間違いなくアメリカは日本を助けないでしょうね。いつでも助けてくれる訳じゃないのは歴史が証明してるんですね。まだ「特殊な環境」に居る日本はそれに気付いてないだけかも……。