みなみ会館とフレスコに挟まれた一通の脇を、散歩しているチワワを見ていると、女優の田畑智子さんを思い出しました。もう目の辺りがそっくり。そう思って見ていると、チョコチョコとせわしなく歩く足取りも、何故か「タバタ・タバタ……」と3連を刻んでいるようで楽しくなってきます。あぁ、フジテレビの「救命病棟24時」の続編はもうやらないのかなぁ……って思ったりしながら、検索でヒットしたプロフィールを見てみると、なんと京都出身だったのですね。ひょっとしてあの犬は……実家の愛犬? ——という程そっくりでしたのですよ。
昨日は書こうと思っていた内容からいつの間にか脱線して、思いもよらない着地点に降りてしまったので、今日はそのつづきを。『高校生のための実践演劇講座』という本に載っていた、「熱海殺人事件」の戯曲を読んでたという話です。その冒頭の解説がとても面白かったのです。
つか氏が高知県へ行った時に、そこで行われてる芝居が、相変わらず「熱海」だったり「六本木」だったりするのをどうして脚本を書き換えてくれないのか
というんですね。客に知らない地名をそこに出すより、「桂浜殺人事件」にした方が臨場感が出るだろう——と。普通、原作者なら一字一句原作通りにやって欲しいものかと思いがちですが、芝居を作る時には直接口だてをして、六〇パーセントは役者に作らせてもらってる——と言う、つか氏らしい感覚なのでしょうね。
例えばpazapの新曲を作る時には、ある程度形にした状態でメンバーに渡すのですが、それをそのままプレイされると困ってしまってワンワンワワンって思うものです。勿論基本的な構造や仕掛けがあるので、その部分は作曲者として譲れない部分もあったりするんですが、それ以外はどれだけより良く壊してくれるか——っていうのが楽しみだったりするんであります。お! そうきたか——とゾクゾクしたりするのがいいんですね。なんかそういう事を考えてしまいました。
あと凄いなぁと思ったのは、つかこうへい事務所のサイトに「上演台本について」っていうページがあって、脚本がダウンロード出来るんですね。そのページにはこういう記述があります。
営利を目的としない、2000円〜3000円でやる小劇場や学生さんの小さな劇団等の方の上演料はいりません。自由におやり下さい。お知らせだけ郵送でくだされば結構です。
→上演台本についてより引用
芝居というものに対する愛が感じられて泣きそうになりました。それと同時に、これは音楽界ではあんまり考えられない事じゃないかと思いました。どういう事かというと、JASRACとかに著作権登録してる場合だと、自分の曲でも自由にならないからです。つまり自分の曲を(入場料をとって)演奏するにも、自分で使用料を払わないといけないんですよね、多分(違ってたらすみません)。ずっとさだまさし氏のサイトにあった歌詞集がいつの間にか無くなったのは、多分そのあたりを指摘されたからだとボクは思ってます。そういう不自由さからでしょうか、佐野元春さんとかみたいに自作の管理は自分の所でする人とかも出て来てます。だから佐野さんのサイトには歌詞もコード・ネーム付きで公開したり出来てるんだという事だと思います。
こういうの、太っ腹! っていうんじゃなくて、やっぱり愛を感じます。
『「愛国」問答 これは「ぷちナショナリズム」なのか』(香山リカ+福田和也:著/中央公論新社/ISBN4-12-150087-3)を読了。何故日本人はマクドナルドを破壊しないのか——という対談で面白かったです。