パザ日誌


2007年11月 4日 (日曜日)----すぎもとともひで

紅葉の季節

洛西

朝から西京区は洛西ニュータウン辺りに、2人の方のお見舞いに行ってきました。洛西辺りまで行けば、木々はほんのり赤く染まり、紅葉の時期も近い事を肌で感じます。市内中心部や南部あたりでは、まったく感じない事でありますので、狭いと言われる京都市内といえども、季節の進み方は若干違うのだなと、改めて感じました。

1人の方のお見舞いは、老人施設。ボクが生まれてから京都へ出てくるまで、実家で同居していた祖父の姉が居たのですが、晩年骨折してからは、隣町の老人施設へ入っておりましたので、帰省の折りにはお見舞いに行ったものです。その通称『ばぁちゃん』が亡くなってから、来年の9月で10年。という事で、ほぼ10年ぶりに、こういう施設を訪れました。

入る時に記帳するだとか、エレベータに鍵が掛かっている事だとか、施設の性格上当然の事が色々とあるのですけれど、『ばぁちゃん』のお見舞いの時には慣れていた事にも、いちいち驚いてしまいます。お見舞いに行った人は、ボクには10年前に1度会った事があるだけの方だったので、お互いにほどんど面識がありません。更にこの方は認知症になってまして、同行した身近な人の事さえも覚えてないどころか、会話も口をぱくぱくするだけで出来ません。

とにかく、急誂えの面談所として用意された、廊下の一角のテーブルへ、車いすを押されてやってきたこの女性の姿に、我々は圧倒されつづけ、一瞬言葉がでませんでした。1度しか会ってないとはいえ、元気だった頃のその姿からしても、まったくの別人。グッと目を剥き、ひとりひとりの目を順番に何度も覗き込む姿は、これは純粋にもの凄い迫力で、どんなに素晴らしい女優さんをもってしても、あの迫力はだせないでしょう。目の前に居る人物が誰なのか自分には分からない。それどころか自分が何者かも分かってないのかもしれないのです。大分前に読んだ歌手、橋幸夫さんの本に、認知証になった母親を『宇宙人』と考えて接するという事が書いてあったのを思い出し、正に言い得て妙だと思いました。

1年の中の紅葉の季節が近づいているのですが、あのおばぁさんの迫力有る所作も、人生の紅葉なのかもしれないと思うと、なんとも美しく強いものですね。ただ、アスファルトに固めた町が、落葉をゴミにしてしまうような社会に憂いを感じつつ、10分そこそこの再会を終えて、洛西を後にしました。