パザ日誌


2012年3月11日 (日曜日)----すぎもとともひで

けいはんな記念公園にて

animals

あの震災から今日で1年。この1年、被災された方々や津波や地震などで大事な人々を亡くされた方々はどんな1年だったのか。それは途方も無く想像を絶する思いだったに違いない。復興に当たっては「原発さえなければ......」この一言に尽きるだろう。色々な考えを巡らせてみても、全てはこの言葉へ還ってくる。

直接地震や津波の被害に遭っていない我が家の1年も、思い返してみると大変な1年だった。震災の月に4歳になった娘と、震災の時にはお腹の中に居た下の娘。放射性ヨウ素をまともに浴びさせられた福島・茨城を中心とした近隣の子供ほどではないにしても、日本で生活して行く中で福島第一原発由来の放射性物質とつき合わねば成らなくなった事に変わりはない。小出裕章氏の言葉を借りるまでもなく、2011年3月11日を境にして世界は変わってしまったのだ。放射性物質の影響を受けやすい子供達に、できるだけ安全な食べ物を食べさせるため、何度ため息をついた事か。この1年間は日本にとって時を経ても決して笑い話には成らない、本当に辛い1年間だったのかもしれない。そして、それがこれからも続くというのだ。状況はまったく良く成っていないのだから。

そうは言っても、僕らはこの狭い部屋の平和の為に手一杯なのだ。辛い毎日とはいえ、それでも泣いたり笑ったりしながら生きて行くのだ。阪神大震災の教訓も顧みず、相変わらず同じように感傷的なテレビの追悼番組に辟易しながら、最高にエレガントなポリリズムを聴かせてくれるTipographicaのCDをかけ、遊び盛りの小さい子供をけいはんな記念公園へ連れて行った。

楽しい遊具遊びに興じながら、歓声を上げる大勢の子供達の声がこだまする。この子供達が大きく成った頃のこの国がどんな国になっているのか、想像する事も出来ないが、消えて行った尊い命から未来を託された子供達だ、きっとうまくやるに違いない。

on the swing

せっかく公園で楽しく遊んでいたのに、1時間くらいするとポツリポツリと雨が降り出して来たので、慌てて退散。すぐ近くのショッピングモールで買い物をして帰宅した。

baby's eyes

上の娘が遊んでるのをベビーカーの中から見ている下の娘。風邪を引いて鼻がズルズルなのにも関わらず、外に連れ出されて「なんて親達なんだ!」とでも思ってそうな目でこっちを見てる。視線が痛い......。