パザ日誌

2002年11月09日(土)

枯れ葉をゴミにするのは誰だ

郵便局に行くときに国道24号線にチャリンコで出たら、物凄い渋滞でした。今京都は観光シーズンなので、それでなのか? 今年は急に寒くなったので紅葉も色鮮やかそうだし、実際街中でもいい色になってる木も見かけます。でも昨日この当たりで街路樹の剪定(というか枯れ葉が落ちないように切ってるだけ)をしてて、1車線つぶれていたので、今日もやってるのかも。

京都の紅葉の名所も色々とあるけど、ボクが一番好きなのは有名な嵐山とかでなくて、街中。それも堀川通の今出川から紫明通りの間の銀杏ですね。ここのグリーンベルトの中と街路樹の銀杏の紅葉は結構穴場なのです。道も広いし車通りも少ないしとってもキレイ。でも最近はやっぱり落ち葉の処理が大変なのか、枝ごと落としてしまってるようですね。もったいない。

ボクはこの当たりにあった車屋さんに勤めていたのですが、このシーズンは毎朝始業前は落ち葉拾いが日課でした。その時いつも思ってたのですが、いつから落ち葉はゴミになってしまったのだろう? という事でした。落ち葉は土に帰り、肥料となって新しい命の源になる筈なのに、その間に人間が自分の都合でアスファルトをしいたり、コンクリートで固めてしまう。落ち葉をゴミにしてしまう原因は、この人間の欲なのですね。結局それで落ち葉をゴミにしてしまい、その処理で本来無駄な税金を使って無駄な二酸化炭素を出し、まったく今まで通りの人間らしい生活をしている、いわゆる先進国じゃない人々の上に酸性雨を降らし、オゾンホールを空け、もしくは異常気象で雨不足にしてしまう。いったい誰が幸せになるのか? 疑問です。

こういうのは色々とあって、例えば原発が作られるのは必ず海沿いの田舎ですよね。そうすると反対する人が出てくる。「それは住民エゴだ! お前らだって電気を使うじゃないか、どこかに造らないといけないんだ!」なんて言ったりする人がいますが、例えば福島県の原発で造られる電気はどこで使われるかといえば、殆どが東京周辺の首都圏らしいですね。じゃぁ、そんなに言うんだったら東京湾に造れば良いじゃん、原発。自分らが使うんだから。と言いたくなりますよね。安全なんでしょ?

つまり金をちらつかせて結局地方に押し付ける。アフガニスタンで井戸を掘ってるボランティアの人達がいますが、アフガニスタンで雨が降らなくなったのは、アメリカをはじめとする先進諸国(もちろん日本人も)が自分達の欲望のみで好き勝手なコトをしたしわ寄せのように思えてならないのです。そこへアメリカが攻撃をして全然関係ない一般市民を殺す。それが正義というのはまったくもって茶番ですね。そういう貧しい国やその国民に、無茶苦茶な事をし続けている事への反発が911のテロだったり、劇場占拠事件だったりしている要素のひとつでもあるような気がします。

そういう事は直接手を下してるものだけのせいじゃなくて、自分の都合だけで台所の流しに油を垂れ流しにする、ボクら一般市民の固まりが全然関係ない人を不幸にしてるのだと言う事なのでしょう。ボクらの普段食べているものが、そういう発展途上の国の環境を破壊して作られ、そしてそのほとんどがゴミとなって捨てられて行く。そういう事をもっとひとりひとりが考えなければならないのではないかなんて、つい自分の事は棚にあげて書いてしまいました。

ジェフ・バーグランドさんだったと思うのですが(ダニエル・カールさんだったかなぁ……)、日本に来て「汲み取り式」のトイレを知った時に「日本はなんて進んでるんだ」と思ったそうです(笑)。これこそリサイクルだ、と思ったそうです。そういう意味では、ボクらは発展と言う名の「退化」をしてるのかも知れませんね。これからはこういう問題が大きくなってくるのだろうと思います。地球を守るんじゃなくて、ボクら自身の生活を守るためにです。地球なんて人間が無茶苦茶しても壊れないですよ。人類が滅亡して次にゴキブリかなにかに取って変わられるだけですからね。

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