パザ日誌

2003年07月29日(火)

昔とはいつ?

関東地方とかでは、昨日の「ラブセン
というV6の番組は、たまの石川さんのお宅訪問だったらしいのですが、関西地方ではその時間帯には明石家さんまの「痛快!明石家電視台」という、関西ではお決まりの番組があるのでした。よって関西地方では金曜日の深夜に「ラブセン」を放送しているのですが、おそらく来週の金曜日に石川さんの登場という事になるんだろうと思われますかなりズレてるみたいっす。備忘録という事で。あと、八月九日の夕方四時からはWOWOWで「ドントラ」が放送予定。三時間半の枠だという事は、ノーカットなのでしょうか? 見たいけどうちはBSが見れないのでした(笑)。


この前に特番を見たからって訳ではないんですが、昨日は久しぶりに水戸黄門を見てみました。リアルタイムで水戸黄門を見るのはすごく久しぶり。というより、フィルム撮影じゃない時代劇っていうのは、ちょっと抵抗があって見る気がしないんですよね。なんか妙にリアルで、逆に安っぽいというか重みが無いというか。こういうのちょっと面白いですね。フィルムものより絶対に最先端の技術を使って、高画質で撮影・編集してるのに、それが安っぽく見えてしまうっていうのは。実際の江戸時代の町の様子とかっていうのは、例えば空の色とか山の色とか、そういうのはほとんど今ボクたちが見ているものと、基本的に変わらないのでしょうし。あ、でも今と変わらないというのが、逆に冷めてしまう所なのかなぁ? 時代劇なんだから、今とは違っていてほしいという部分が、そう思わせるのかも知れませんね。最新のデジタル処理で、あの「フィルム感」っていうのはだせないものなのでしょうかねぇ?

よく「昔は……」とかって簡単に言いますけど、「昔」って言う時に、じゃぁあなたの言う「昔」ってのはいつの事なの? っていうのを最近思ってしまいます(勿論自分に向かってもですが)。弥生時代や縄文時代も昭和の時代も、「昔」って言えばどちらも間違いではないですよね。今より前はひとくくりにして「昔」って言ってしまえる気もします。でも実際に人が「昔」っていう場合には、自分が若かった頃とかいう場合がほとんどで、少なくとも自分が生きていなかった頃を指しても、自分が直接親などから聴いた範囲の事までなのでしょう。だから明治時代くらいまで。もしくは江戸時代の終わり頃くらいでしょうか? ボクなんかからしたら「江戸時代」なんて、途方も無く昔の様な感覚で受け止めてしまうのですが、誰かが「うちのおばあちゃんは、昔、新撰組の沖田総司に遊んでもらった」っていう人の話を聞いたりすると、あれ? 最近の話なの? って感覚が狂ってしまう事があります。そりゃそうですよね、新撰組なんて百年ちょっと前の話ですから、最近と言えば最近とも言えるかもしれませんし。

だから江戸時代の時代劇なんて、昔と言えないかもしれませんし、流石にビルとか自動車とか携帯電話とかは無いでしょうが、京都の時代劇を撮影してる場所とか山道とかは、今も「昔」もそんなに差はないかも知れません。だから人が「昔はこうだった」なんていう話は意外と眉唾物である場合が多いのかも。例えば「昔は男は台所に入らなかったものだ」なんて言ってみても、その「昔」はたかだか百年くらいの歴史しか無いかもしれない。その前には千年間「男が台所に入って料理をしてた」という時代があるかもしれないのに。

話が変な方向へ行きましたが、結局何が言いたかったかというと、昨日の水戸黄門の中で出て来たお城が、まったく二条城そのものだったので、我が家では大爆笑で白けてしまったのでした(笑)。結局これも「場所が違うやん!」っていうよりも、一気に「現在」に引き戻されてしまうからなのでしょうね。

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