誰か、所かまわず無意識に口ずさんでしまう「マストにいきマスト」っていう歌を抹殺してください。何か負けたみたいで歯がゆいのです。キー!!
「放送禁止歌」(森達也 著、デーブ・スペクター 監修/解放出版社/ISBN4-7592-5410-2)を読了。図書館で見つけたのですが、借りたのはソフトカバーの単行本で、他に文庫本にもなってるようです(→
Amazon.co.jp:放送禁止歌)。
この本は、フジテレビの「NONFIX」という番組で放送された
「放送禁止歌 〜唄っているのは誰?規制するのは誰?〜」っていうドキュメンタリーを作った経緯や裏話、放送後の追加取材などをまとめたものです。読みはじめたら止まらないくらい、面白いし興味深い本でした。いずれ絶対に買おうと思います。
へぇ、そんな曲まで放送禁止されてたのか……というのを知ったり(例えば高倉健の「網走番外編」)、そんな理由で規制されるのかとか(例えば北島三郎のデビュー曲である「ブンガチャ節」)、とても興味深いのですが、その禁止の根拠がかなりお粗末なのは想像通り。「放送禁止歌」というのがあるのではなく、民放連の指定した「要注意歌謡曲」っていう、単なるガイドラインが根拠の模様で、これはすでに事実上機能してなくて、しかも各放送局で「放送禁止」とされている曲がこのリストになかったりするという不思議な状況なのだそうです。これがメディアの対応かと思わせるような、思い込みと思考停止の現状が興味深くてあきれます。
第三章に森達也氏とデーブ・スペクター氏の対談があるんですが、これも興味深いものです。メディアについての日本とアメリカの比較みたいな感じなのですが、一番感じたのはやはりアメリカは権利を勝ち取って来たという事で、日本はお上(もしくはアメリカから?)から与えられたものだという事ですかね(少々極端ですけれども)。アメリカの規制というのでは、向こうでは生放送の収録と放送では六秒間のタイム・ラグをつけるのだそうです。その六秒間に不適切な発言とかがあれば削除なりできるようにだという事のようです。へぇ(これはNHKの地震の映像みたいですね。大きい地震のときによくNHKの事務所内での地震発生の瞬間の映像がでてきますが、あれは全部の局内で二十四時間ヴィデオ撮影してる訳じゃなくて、このタイム・ラグの間に地震を感知したら、ヴィデオのスイッチが入るらしいですね)。でもこれも「規制」ですよね。「表現の自由」を重んじるアメリカにしては意外な感じはします。でもこれは、今までメディアが政府の圧力と真っ向から対決してきた結果に生まれたものなのだそうです。結局それで自己規制してしまうのならば、日本とどう違うの? ってはじめは思ったんですが、よく考えると違う事に気が付きました。つまり、アメリカは闘ったうえでの自己規制で、日本は闘わないための自己規制なんじゃないかと。自分達はこういう表現をしたいから、この表現方法は必要なんだって闘うよりも、最初から闘いたくないからそんな表現やめとこうよっていう感じですね。それを若い世代が意味も考えずに受け継ぐという思考停止状態な訳ですね。いかにも日本的というか……。
ちょっと意外な感じがしたのだけど、基本的にアメリカ人は暴力や性描写はタブーなのだそうです。この二つこそアメリカ! って感じに思ってたのですが。だからアメリカではこういう表現が必要ならば、マーケットや視聴対象をきっちりと分けるのだそう。無闇に垂れ流しはしてないという事ですね。そういう意味では日本の方がその二つは氾濫しすぎてるという事ですね。これもいかにも日本的。規制されてない事はドンドンやる、そのかわり規制されそうな事は闘う気もなくシュンってなるんですね。その徹底ぶりは凄くて、「ノートルダムのせむし男」っていうビクトル・ユーゴー原作のディズニー映画が日本に入って来た時に、「せむし男」を「鐘」に変えたそうなんですが、普通は邦題だけを変えれば良い様なものなのに、ご丁寧な日本人は原題まで変更したのだそうです。へぇ、ビックリ。原作を改悪して何でもハッピーエンドにしたがるディズニーのやりかたもおかしいとボクは思いますが、このやりかたはそれ以上ですな。アホらしいというより、激しく原作者に失礼な行為でしょう。
あ、それからこの日本とアメリカの所で、ちゃんとフランク・ザッパの「ワーニング・ステッカー」をめぐる件について、ちょっとだけですが記述がありました。
そういえば、昨日の「トリビアの泉」で、ガチャピンが子供を食べるっていう歌が紹介されてましたが、それもクレームで一週間で放送を打ち切ったのだとか。面白い歌なのになぁ、あれがダメなんてセンスが悪い。というか、それぐらいの「毒」はお伽噺にこそお決まりなのだから、そういう必要な「毒」を抜いたモノばかりを与えられた子供っていうのは、本当に怖いと思いますがねぇ。勿論クレームをつけた親が一方的におかしいっていうんじゃなくて、制作サイドにどれだけの考えや覚悟みたいなのがあって作ったのかっていう問題も無いとはいえませんが。
後半には「竹田の子守唄」についての記述があります。「竹田の子守唄」は一九七一年にフォークグループ「赤い鳥」が歌ってヒットした曲なのですが、この曲が生まれた背景、そして放送から消えて行った背景について、実際に著者が竹田まで取材に行って書かれています。しかし恥ずかしながらボクは、この「竹田」っていうのが京都の竹田だったなんて、この本を読むまで全然知りませんでした。しかも今ボクが住んでる伏見区内の事だったなんて……。興味を持ったので「竹田の子守唄 名曲に隠された真実」(藤田正 著/解放出版社/ISBN4-7592-0023-1)という本を見つけて読んでます。「竹田の子守唄」の原曲は十五番まであって、その完全版が元「赤い鳥」のメンバーである「紙ふうせん」が最近のアルバムに収録されているそうです。(追記)ボクが読んだ初版本でのこの記述は、著者の電話取材による聞き違いによる間違いなのだそうです(二版目以降は修正されてるのだそうです)。実際には原曲より新たに歌詞を取り入れた「竹田の子守唄」が収録されているという事だそうです。これも聴いてみたいと思ってます。