「井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室」(井上ひさし ほか:著/文学の蔵:編/新潮文庫/ISBN4-10-116829-6)を読んでいたら良い話があって、得した気分がしました。この本は、井上ひさしさんの作文ワークショップという感じの催しをまとめた本のようです。日本語についての分析が色々とあって、とても興味深いのです。その中で、本題に入る前に少しだけ昔話として触れられているエピソードが、なんとも心にしみる良い話で感動したのです。
井上ひさしさんが中学生の頃、当時住んでいた町の大きな本屋さんで、いたずら半分で国語辞典を万引きした事があったのだそうです。それを店番のおばあちゃんに見つかってしまい、店の裏に連れて行かれて注意された後、薪割りをさせられたのだそうです。以下、ご本人のことばを引用します。
僕はてっきり薪割りは罰だと思っていました。ところが、それだけではなかったのです。
薪割りが終わると、おばあさんが裏手に出て来て、その国語辞典を僕にくれたんです。それどころか、「働けば、こうして買えるのよ」と言って、薪割りした労賃から辞書代を引いた残りだというお金までくれた。
おばあさんは僕に、まっとうに生きることの意味を教えてくれたんですね。
→「井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室」の「二時間目」より引用
この話を読んで「良い話だなぁ……」とひとしきり感動した後、現代の日本でこういう事が起こりうるのだろうか? と、ちょっと考えてしまいました。今ではこういう場合、店主が警察に突き出すか、親が逆切れして「薪割りなんて危ない事させないで! お金払えばいいんでしょ!!」なんて言い出しそうです。いや、ちょっと極端で乱暴かもしれませんが、特に後半のは、今売ってる「新潮45」に載ってる堺市の小学校の先生が書いた文章を読んだばっかりだから、余計にそう思うのかもしれません。ホント、信じられない親が居るもんだと思って、こんなのがゴロゴロ増殖してるのなら、いくいくは日本から脱出するしか手がなさそうな気分になってしまった所なのです。
これからの日本は、井上ひさしさんが育った時代のレヴェルに帰るか、ブレーキが壊れた暴走車の如くつっぱしるかのどっちかなのでしょうかね? 他に道はないものか? とか、ガリガリ君の「グレープ味」をガリガリとかじりながら、涼しいエアコンの風の下で思った訳です。