パザ日誌

2003年09月19日(金)

ポリリズム雑記(そのに)

えぇ、好評に付き(大嘘)ポリリズムの話のつづきなどを。今日はポリリズムと変拍子の関係について考えてみたいと思います。……って言うと、なんか講義みたいで偉そうなんですけど(笑)。そういうんじゃなくて、最近ふと考えたりしてる事を無責任に書くだけです。

ポリリズムっていう事を考える時、「変拍子」とも大きく関係があるのに気付きます。でもポリリズムは別に変拍子でなくても使えるんですね。むしろ効果的につかうには、ずっと4拍子で進行してる中で使った方がいいのかもしれません。フランク・ザッパ御大の「ブラックページ・パート1」みたいに、強烈なポリリズムをテリー・ボジオのハイハット4分打ちの上で行うような。これは現代音楽的な手法ですね。部分的に5連や7連などを使う、ある一定時間だけのポリリズム。だいたい技術的に難しい事をやろうとする場合、ギターの速弾きのように驚異的なスピードを極めるか、変拍子に行くかが王道だとおもうんです。でもポリリズムに行く道もあるんですよ。それを、あまりにも安直に変拍子に流れる事への批判みたいなのも生まれてくる所があると思うんです。例えばティポグラフィカが、あくまでも「4拍子だ」と主張した所はそういう部分もあったんじゃないかと思えるんです。いや、人のせいにしてばかりじゃダメですね。ボクもそう思う部分がちょっとあります。

で、ポリリズムと変拍子の親密な関係が生まれてくるのは、一時的に5連や7連や11連とかが出てくる現代音楽的(部分的)ポリリズムじゃなくて、例えば曲まるごとポリリズムとかの場合です。例えば曲まるごと4と5のポリリズムだとします。これは4拍子の曲だと考えると、5の部分は5連符になりますが、5がずっと続くと言う事は、5のパートを演奏してる人にとってはその曲は5拍子なんですね。つまり逆に5拍子の曲だと考えると、4のパートが4連を演奏してる事になります。この二つは基本をどっちに置くかによって、4拍子だったり5拍子だったりするという事です。こういうのは、プレイしてる人にとっては互いに4拍子や5拍子だと思って演奏できる訳です。もちろん4を感じながら5をプレイすることも出来る訳ですが。

それから最近思うのですが、「ポリリズム」っていうのは「リズムの不協和音」みたいだなぁって思うのです。同じパルス上に存在しないものがぶつかると、特に不協和音的な変な感じが生まれます。例えば、3連の曲が進行してる上で、イーヴンな8分音符を連続して演奏してみます。そうすると、やっぱり何か変な感じがしますよね。これはある意味「間違ってる事」とされたりする事なんですね。でも、そういう「変な感じ」を気持ちいいと感じて、それをあえてやる場合もあります。このあたりが不協和音っぽいと思うんです。パルス上にないものが、微妙な間隔でぶつかる感じです。勿論、不協だと感じるかどうかは聴く人の主観的な問題なんですけれど。いや、「不協」と感じても「不快」と感じるとは限らないという事ですね。自分で決めたらいい問題だと思います。

例に出した3連とイーヴンな8分がぶつかってる曲を紹介しましょう。たまの「しょぼたま2」っていうアルバムに入ってる「いなくていいひと」っていう曲は、途中がこのパターンのポリリズムになってます。ちょうど空に登ってく子供たちのっていう歌詞の所です。この曲は3拍子系の3連の曲なんです。これを3/4拍子と考えると、ちょうどギターとうたはずっと3連で、この部分になるとトイピアノがイーヴンの8分で入ってきます。途中からパーカッションも8分になって、自然な感じなんですが実はポリリズムっていう効果的なアレンジになってます。特にポリリズムに入る前に、パーカッションがおかず的にイーヴンな8分を叩いています。このあたりは流れ的に絶妙ですね。たまのアレンジ力はほんとに素晴らしいです。この曲は3/4で考えましたけど、9/8の方が自然かもしれません。その場合は9/8と6/8のポリリズムという感じでしょうか。

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