パザ日誌

2003年10月10日(金)

立場

新聞受けに某政党のチラシ。まぁそれはいいんですが、気になるのは支持者の欄です。お坊さんが仏教者の立場でコメント付きで応援してるんですね。泣きそうになりました。個人的に特定の政党の支持をするのは全然問題ないですけれど、仏教者の立場としてそんな事されると困ったもんです。仏教は宗教の立場で発言したらいいだけで、政治の立場では発言するべきでないと思います。

「生命との対話 人間・生と死のはざま 養老孟司 vs.ひろさちや対談集」(主婦の友社/ISBN4-07-214592-0)を読了。実はこの二人の対談があったなんて知らなかったんです。読みはじめたら面白かったんで、結局止まらなくなってしまって、全部読んでしまいました。養老孟司 さんの本はほとんど読んだ事がなくて、立ち読みで途中まで「バカの壁」を読んだくらいです。何か分かりませんけど、一種の先入観みたいなのがあって、ちょっと避けてた所があったように思うんですけど、ちょっと前にNHKでやってた特番を見てからは、ボクの中で随分イメージが変わりました。特に講演会で話してらっしゃるシーンがあって、その話があまりにも面白かったので、もっと続きが聴きたいと思った程でした。この本は対談以外にも、養老さんの講演会のお話も収録されていて、これが実に面白く興味深いものでした。「体と社会」というテーマなんですが、現代の日本には「体」が無いという話です。こういう切り口もあるのかぁ……という感じで、話に引き付けられる感じだったです。

一方、対談の方もボクとしてはとても面白く読めました。ただ、立場の違いから、最終的な着地点は同じ様な所なんですが、そこまでの持っていき方がお互いに違ってるので、人によっては感想は色々かなぁとは思います。養老孟司 的立場で読む人は「それはおかしいやろ!」とか思ったり、またその逆だったりという感じに。でも、対談の醍醐味はそこだと思うので、それはそれで面白いと思いました。対談の失敗っていうのは、立場が平行線で最後まで全然噛み合わなくてまとまらないか、初めからなぁなぁかだと思います。勿論対談の内容にも大きく関係してくるので、一概には言えないんですが。でも喧嘩になって「やってられるか!」って放り出す方がまだマシで、関係がズルズルでなぁなぁの対談が一番面白くないかも知れませんね。分かり合ってる関係なら余計に、着地点が分かってるんだから、あえて喧嘩をするべきだと思います。

ボクとしては、ひろ先生の本は色々と読んでますし、目の前で講演も何十回も聴かせてもらってますんで、だいたい持って行きたい所とかは分かります。だから、それに対する養老さんの反論とかはとても面白かったです。

それから、最後の方の脳死と臓器移植の話で、ボクがこの前のイラクの戦争で思った事がそのまんま、ひろ先生の発言にありました。以下引用します。

ただ、私の場合は、政治の問題と宗教の問題をいつでも分けて考えないといけないと思うわけです。戦争の問題でも、戦争が善か悪かといったら悪に決まってるんですよね。ところが戦争が必要か不必要かという問題は、政治的な状況としていつでも議論されていいんだと思うわけです。

ボクは善悪は宗教の問題で、必要性は政治的問題だというこの考えに共感します。これは脳死や臓器移植や戦争や死刑制度なども全てそうです。宗教者は宗教者の立場で、きっちり善悪について議論・主張すべきで、政治的問題は政治的問題として、それぞれの立場の人たちがちゃんと考えたらいいのです。それを宗教者が善悪を考えずに、必要論にすりよって行こうとする態度は、宗教としての役割りを全然はたしてない。それこそ必要ない存在になってしまいます。

だから、先のお坊さんの態度が、日本の宗教界の状況をモロに写してると思う訳です。

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