相変わらず枝雀落語にハマりまくっておりますが、今は「つぼ算」を聞いてます。この前の「雨乞い源兵衛」もそうでしたけれど、このストーリーの面白さは、やっぱり登場人物の「悲劇」ですね。「つぼ算」では瀬戸物屋のおじさんの、パニックになってる様がおかしくてたまらないんですが、確かに物語中の当人にとっては、あきらかに「悲劇」です。そのあたり、落語作家の小佐田定雄さんがライナーノーツにかかれてる文章が鋭いです。
落語に限らず、笑いというものは「個人的な悲劇」によっておこるものです。それも世間に迷惑のかからない、ちょっとした悲劇であることが条件です。
→小佐田定雄氏(「枝雀落語らいぶ14」の「一人酒盛」のライナーノーツより)
しかしこの「つぼ算」、前にテレビでも見た事があるんですが、その時も瀬戸物屋の親父と同じように「え? 合うてるんちゃうの??」とかって思ってしまったのです。そして、また久しぶりに聴いてみると、やっぱりだまされるんですな(笑)。 今回も2回立て続けに聴いて、やっと理解できましたです。このトリックで瀬戸物屋をケムに巻く男に共感するという上岡龍太郎さんが、ライナー・ノーツに書いてる文章も面白いです。
世間は上岡龍太郎の言うことは「正論だ」という前提で「葉に衣着せぬ毒舌家」という称号を与えてくれた。だが、私の話は穴だらけの落語的「理屈言い」に過ぎない。それを巧妙なトリックとスピードで目くらましをしていただけである。
→初代上岡龍太郎氏(「枝雀落語大全 第一集」のライナー・ノーツより)
しかし、この巧妙なトリックを思いついた人物ってのは、どういう人なんだろう? と関心しながら、ついもう1回聴いてしまうのでした。