パザ日誌


2003年5月14日 (水曜日)----すぎもとともひで

戦時下のうわさ

うーん、昨日はしゃぎすぎた為か、今日は朝から激しい頭痛と吐き気でダウン。薬をのもうとすれど、空腹にもかかわらず体が受け付けず、ビスケット二枚と牛乳を無理矢理に飲んで寝るのでした。薬が効いたのか、四時間くらい寝たら多少頭痛は残るものの、吐き気はなくなったので晩飯はモリモリと食えましたとさ。おいどんは食うんよ、とか言いながら......(最近は「男おいどん」を読んでいるのでした。おいどんに自分がだぶる・笑)。しかし、うまいもんが食えるというより、おいしく食べられるのが幸せなのを実感したのでした。


この前借りて読んでた本の話しですが、「京都に原爆を投下せよーウォーナー伝説の真実」(吉田守男・著/角川書店/ISBN4-04-821049-1)を読んで「へぇ、そんな事があったのか」と思った話しを二つばかし。二つとも、第二次世界大戦下の日本での話しです。

まづ一つ目は、静岡県浜松市の悲劇の話しです。浜松は中規模都市の中で、投下された爆弾が異常に多いのだそうです。爆弾投下量は3,036トンで、その次の尼崎の1.778トンなので、相当違いますよね。そしてその理由は「爆弾捨て場」だったのだそうです。B29が関東方面を爆撃した帰りに、浜松で「処分」するように命令が出ていたのだそうです。そのおかげでどれだけの犠牲者が出たのか、言葉も出ません。

もう一つは、戦時下でのデマの話し。京都では戦時下から「文化財があるから、空襲をうけない」という噂があったらしいのですね。これは実際に(結果的には)空襲を受けなかったのですが、同じ様に横浜にも長崎にも同様の噂があったとのこと。どの例もまわりの都市に比べて、どうしてうちは空襲されないのだろう? という疑問から始まって、「文化財があるから」や「アメリカと縁と深いから」なんていうのが噂に変わっていった様なのですが、この例はみんなその当時に「原爆投下のターゲット」になっていたからなのでした。勿論、ターゲットになると何故空爆されないかは前にも書いた通り、原爆の効果を調べたいので、どこまでが原爆の被害かが分かる様に、攻撃するな! という命令が出ていたからなのですね。そして噂があった横浜は後に大空襲に見舞われています。それは、原爆投下ターゲットから外されたから。

で、そのデマの類でもうひとつ興味深かったのは、迷信めいたものも有ったのだという事。東京では「らっきょだけで飯を食うと爆弾があたらない」なんていうものがあったのだそうです。あと、奇跡的に助かった人の近くに金魚が死んでいたので、金魚を拝むと良いとか。当時、情報操作をされていたりで正しい情報が少なかった事と不安とで、庶民の間ではそういう噂、デマ、迷信などが囁かれたりしたのだそうです。

戦争を知らない世代としては、もっとこういう話しを読んでおかないといけないのかな、とか思います。なんやら白い軍団にアホみたいにマスコミが騒ぎすぎて、それをいいことに「有事法」なんかも進んでますが、そういうのもちゃんと考えないと。